盃の殿様
西国から参勤交代で江戸にやってきたあるお大名。ここのところ、過労もあってか気鬱の病で周囲を心配させている。気晴らしにと茶坊主の珍斉が吉原の遊女を描いた錦絵を見せると殿様は興味を持ち、一度、吉原に行ってみたいと言い出す。家老の上村彌十郎は反対するが、拗ねた殿様がまた気鬱の病になりそうなので、しかたなく、吉原見物を許すことになる。当日は、家臣三百数十名を従え、大名行列をしながら吉原へ。殿様は茶屋の二階に陣取ると、花魁の道中を見て楽しむ。なかでも殿様の目を引いたのが花扇という花魁。殿様が「座敷に招きたい」と所望すると、禿、新造を従えた花扇花魁が現れ、殿様と一夜をともにする。花魁の手練手管にすっかり参った殿様は、それから連夜の吉原通い。しまいには袴を脱ぎ捨てて助六を気取る有様である。家老の彌十郎は頭を痛めているが、そこへ参勤交代の知らせ。殿様は名残惜しくも本国の九州へ帰ることになる。城は帰っても思い出すは花扇のことばかり。ついには家臣を呼び出して吉原の花扇に盃を使わすようにと大変なことを言いつける・・・。<br/>
昭和の名人では六代目・三遊亭圓生が演じていたスケールの大きな廓噺である。現役では柳家小満んのレパートリー。それを喜多八が継承し、独自の演出を加えて楽しい作品に仕立てた。もともと地の語り(演者自身の視座による語り)の多い噺だが、喜多八はそこに思い切った現代語をまぶし遊んでいる。はじめて廓遊びをした殿様が「ベストコンディションである」と言い出したり、伊達男を気取って助六ばりの言葉遣いをはじめる誇張も効いている。後半、盃を持った足軽が九州から江戸を目指すくだりは道中付けでその光景を描き出す。九州から小倉船で本州へ。京都によって東海道で江戸へのぼり、品川からは日本橋を経由して吉原へという経路が細密で面白い。落語に出てくる大名の言動は風刺の材料になることが多いが、この噺では「大名の遊びはかくありたいもの」とむしろ賛美されている。ぬけぬけとしたサゲも含め、遊び心たっぷりの一席。<br/>
第17回「浜松町かもめ亭 古今亭寿輔・柳家喜多八二人会」での録音。
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https://rakugo.ch/play/122
2018-04-08T00:00:00+09:00