花見の仇討
花見時分。町内の若い衆四人が上野の山へ花見に行こうと相談。ただ花見をするだけでは面白くない、ひとつ周囲をあっと言わせる趣向で評判を取ろうと言うことになる。参加者の一人、建具屋の熊がこんな趣向を考える。上野の山の擂り鉢山、桜の木の下で煙草を呑んでいる浪人者がひとり。そこへ巡礼姿の二人が火を借りに来る。浪人者は火を貸すが、両名が顔を合わせてびっくり。じつは浪人者は兄弟の親を殺して出奔した大悪人。兄弟は親の敵を討つため、巡礼姿に身をやつし、諸国を放浪していたのである。「ここで逢うたが盲木の浮木、うどんげの花・・・」と兄弟は名乗りをあげ、刀を抜く。浪人者も刀を抜くが、そこへ割って入ったのが六十六部(行脚僧)。「まあまあ」と双方をなだめ、背負っていた負い櫃を開くと中には酒、肴。一同はそれまでとはうってかわり、宴会をはじめる。周囲の人々は凝った趣向に拍手喝采・・・という筋書きだ。凝りに凝った趣向に残る三人も乗り気になり、よし公と辰公が巡礼兄弟、六十六部が六さん、熊が浪人者に扮することが決まる。名乗り合いの稽古も済ませ、いざ花見の本番となるが、六さんの身に思わぬことが起こり・・・。
落語には「長屋の花見」「花見酒」「花見小僧」など、花見をモチーフにした噺がいくつかあるが、なかでも屈指の大作である。ストーリーが凝りに凝ったものであるだけでなく、登場人物も多く、各人を描き分けるには的確な技量が求められる。花見の場で、仇討ちごっこの大騒動、というネタは十九世紀前半に活躍した戯作者、滝亭鯉丈の滑稽本『花暦八笑人』に原拠があり、これを落語化したものだと言われる。仇討ちの兄弟が巡礼姿に身をやつして諸国を歩くのは、歌舞伎や浄瑠璃の基本パターン。兄弟役の二人が稽古する名乗り台詞も歌舞伎や講談の定型を踏まえている。遊雀の口演はこうした定型をよく踏まえ、噺のリアリティを出している。後半、いくつかの場面が並行して描かれるくだりも、メリハリの効いた口調で描写が明快。大詰めで登場人物たちが擂り鉢山の上に集まってくるクライマックスは映画を見るようだ。「仇討ち」を仲裁しようとする「六十六部」は書き写した法華経を全国六十六箇所の霊場におさめて歩く巡礼僧のこと。
この落語は2009年1月に開催された第26回「浜松町かもめ亭」での録音。トリの遊雀の前に、鈴々舎馬るこがあがり、ギターをかき鳴らしながら噺を進める新作落語を演じた。マクラでサカナにしているのは、そのことである。<hr>第26回「浜松町かもめ亭」での録音/文化放送メディアプラスホール/2009年1月23日(金)
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2018-05-02T12:00:00+09:00